舞台前に美容院に行くという無駄な足掻き
こんにちは。
文才のないおたくです。
いろんな方のブログ読んでると文才に溢れていて感心してしまいます。
どこから湧いてくるんだろう、その語彙力。
もともと文章を読むのが好きな私からしたら天国です。
若手俳優についてのことをしっかりとした文章で読める。最高です。
余談ですが、私、こう見えて読書が好きなんですよ!
ミステリーしか読まないのですが。
結構な量読んだのですが、1番おすすめなのは
我孫子武丸の殺戮にいたる病、です。
定番ですがこれですね。
読み終わってリアルに「は?」って声が出ました。
どんでん返し系のミステリーが好きな方はぜひ。
さてさて、本文。
皆さんは推しの舞台が始まる前に美容院に行きますか?
わたしは「はい。」です。
美容院だけではなく、お洋服を新調したりしてしまう。
お金に余裕があれば新しい靴や鞄も買って、更にまつエクをしたり、なぜだか知らないが脱毛にも行ったりする。
なぜこんな “ 無駄 ” な事をしてしまうのか。
まず、なぜこれが無駄と思うかと言いますと!
まあ、なんとなく察すると思いますが!
どんなにきれいに着飾っても推しの目に自分が映るわけがない!
もし映ったとしても特に何も思われない!
むしろ存在さえ気付かれない!!
これに限ります。
でも、でもね、推しが舞台上でキラキラ輝いているのに、みすぼらしい格好でいたくない。
あの俳優さんのファンはこんなに身なりに気を使わない人なのかって思われたくない。
良い意味で周りのおたくから浮いていたい(馴染んじゃうけどね)
と言いつつ舞台の時は多少手を抜いてしまう時がある。
毎回新しい服を着てる余裕はない。
最近推しが出ている作品は1公演につき1万超えてしまうのだからお金があるわけない。
しかも底辺サービス業なのでそんな余裕あるわけない。
しかし、イベントとなったらどうだろう。
ましてや接触があるとしたら。
その場合まず2ヶ月前から準備が始まる。
ダイエットをし、サプリなどを摂取し始めなければならない。
当日に最高潮のコンディションに達してなければいけないからだ。
時間がないと変わらないものもある。
接触があると大変だ……………
なぜなら確実に推しの視界に入ってしまう。
視界に入るどころか、推しの数秒を私がいただくことになる。
推しだって人間なのだから時間は無限ではなく有限だ。
その有限の時間の中の数秒を私が、この私が独占してしまうのだ。
なんてことだろう。こんなことがあっていいのか。あぁ、神よ。
もし写真集発売記念握手会であれば大体3000円程度で最低でも5秒は独占出来る。
3000円で推しから5秒買うことができるのだ。なんて素敵な世界なんでしょう。
その5秒は私だけのものだし、後にも先にももう戻ってくることのない5秒だ。
もっと接触できる事に感謝するべきなのではないか?
チェキを撮るとなったら大変どころの騒ぎではない。
隣に来るのだ、推しが。
舞台と客席という近いようで遠く、手の届かないところにいた人物が、自分の横に、後ろに、前にいるのだ。
しかも人によってはかなり大サービスしてくれるじゃないですか、あれすごいですよね。
あんなことされたら生きて帰れる自信がないですね。
しかもそれがチェキという形になって手元に残るのだ。
握手だと思い出という形でしか残らないが、チェキは手元に物質として残るのだ。
自分が推しと過ごしたという物的証拠だ。
ツーショットチェキとなると、最高にかっこよくて素敵な推しの隣にちんちくりんな私が写ってしまう。
となるとやはり出来る限りの事をして撮影に挑みたい。
何回「起きたら石原さとみになってますように」と願っても無理なのだ。願うだけではなれない。魔法なんてない。
しかしこうやって自分にお金かけているのを楽しんでいる自分がいる。
何事も準備してる時が楽しいのだ。
デートも然り、遠足もまた然り。
わくわくする気持ちが自分を奮い立たせているような、そんな感じです。
まあ、こんなに長々と書いてますが顔面が残念なのでどうしようもないんですけどね!ははっ!!
推しに会うために、と言っているが結局は自分のエゴなのだ。
こんなことするなら、その分1回でも多く舞台を観て、1つでも多く物販でグッズを買った方がよっぽど推しのためになる。
それでも私は美容院に行く。
きちんとカラーされてサラサラできれいな髪になった私はやっと胸を張って劇場に向かう事が出来るのだ。